※CCMブログで書いてきたコラムをこちらでもシェアします
結婚を祈っている、御心の人と出会い人生を共に歩みたい・・・
そう願っている方はいらっしゃると思います。
でも、踏み出せない・・・という方もいるでしょうか。
どうして、踏み出せない・・・?と、考えてみたことはあるでしょうか?
私自身は、考えるより行動派なので、わりと直感で突き進んでしまいます。
もちろん間違えたり、壁にぶち当たったり、痛い目にあったり、がっかりしたり、悔しくなったり、悲しくなったりもします。
傷を負うこともあるし、試練を感じるときもあります。
たぶん、この痛みとかに対する恐怖を前もって考えてしまったら、前へ進めないだろうなと思います。
痛い、怖い、危険に触れるかもしれない、怖い・・・・・・諦めよう・・・。
直感タイプの私も、時々そう考えることがあります。
でも、そんなとき思うのが
「私の小さな経験から、どうして本当にそうなる・・・と断言できるだろう?
私に未来がわかるのか?いや、未来を知ってるのは神様だけ。
そして、神様は『将来と希望を与える』と約束してくださったじゃないか。」
パウロはコリント人への手紙2の1章でこんなことを書いています。
「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危なくなり、
ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」
これは、パウロの大きな証だと思います。
婚活で「心の中で死を覚悟」するような目に会うことはたぶんないと思いますが、
そこまでのことに遭っても
「これはもはや自分自身を頼まず、・・・神により頼むものとなるためでした。」
この試練には大きな意味があったのだ!と告白します。
これって無理やりポジティブに捉えている・・・のでしょうか?
先に書いたように、私も行動することで、間違えたり痛みを感じたりすることはあります。
たぶん行動するから、そういう目にあうのでしょうね(笑)
でも、すべてに神様からの意図があり、それを通さなければ知りえなかったこと、わからなかったことがあった、と思います。
無駄だった経験はないし、行動しなかったら味わえない一つ一つの経験でした。
それが「このときのためだったか!」と活きてくることはたくさんあります。3年、5年、10年越しでくることもあります。その度に、神様ってすごい!と感謝するのです。
死の危険でさえも・・・意味はある。と、パウロさんは言います。
シリアで亡くなった日本人ジャーナリストの人生に、あの死の危険に・・・意味はなかったとおもうでしょうか?
そして、救い出してくださるという望みを神に置くことができる。
その望みがなければ、きっと立ち向かって行くことはできないでしょう。
危険を感じたり、痛みをさけたい、と思うのは、動物的本能として備えられたものであり、ちゃんとそれが機能しているということでもあります。
しかし、それをどう用いるか、私達には自由意志と共に問われているように思います。
恐怖から諦めてしまう前に、圧迫に押し切られてしまう前に、
どうか一歩歩みをすすめてみてください。
そこには、きっと祝福がある、とわたしは信じています。
結婚は墓場だというのは、人間のつくったことわざです。
結婚は神様からの祝福です♪
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婚活マイスターANNIとしてカワセも「牧師メンバー」におります。
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