クリスチャンと結婚したい?

※CCMブログで書いてきたコラムをこちらでもシェアします

クリスチャンと結婚したい、と祈っている方もいるかと思います。
いや、漠然と、結婚がしたい、という方もいるかと思います。
 
なぜ、「クリスチャンと結婚したい」のでしょう?
 
考えてみたことはあるでしょうか?



私の場合は、自分の約30年(特に後半10数年の)怒涛の人生から、
自分はクリスチャンとして歩むこと、
自分の感覚を基準にして人を愛すると失敗してきた経験から、
「お見合いでクリスチャンと結婚する」ということを選びました。
詳しい証は、また改めて書きたいと思います。


クリスチャンと結婚したい。でも、なぜ?未信者と結婚すればいいじゃない、と言われる。それに反論もできない。でも、自分の気持ちとしては、クリスチャンと結婚したい、ような気がする。


そんな声を、私も耳にすることがあります。


私は、できるだけクリスチャン同士で男女が出会い導かれるお手伝いをしていくつもりです。


でも、クリスチャン同士の結婚が、絶対ではないと思っています。
絶対にそのほうが良い!!とも、言いません。


ただ、クリスチャン同士で結婚するメリットと、夫婦のどちらかが信仰を持っていない苦労については、わかります。


今日はそのことを、少し整理したいと思います。


まず、クリスチャン同士で結婚すると、二人の生活の最初から二人で神を見上げる、ということができます。トラブルなく二人で一緒に教会に通って、一緒にメッセージを聞き、賛美したりできます。
食事の前に一緒に祈ったりできます。
一緒に祈ったり礼拝したりできる・・・これが単純に恵みです。夫婦がなんだかんだ心を合わせるきっかけになります。
信仰のスタイルや、聖書や神様への向き合い方が多少違っても、心合わせて祈ることはできます。
一緒に教会に行って、同じメッセージをきいて、同じ賛美を歌って・・・という行動を通して、二人は次第に一致していく、のだと思います。


きっと、ノンクリスチャンの世界では、この一緒に何かするとか心を合わせるきっかけは、共通の趣味だったりするのでしょうけど、それは気分次第で一緒にやらなくなることもあるでしょう。
でも、礼拝は聖書に書かれてるから、神様がせよとおっしゃることだから、必ずしますよね?
気分が良くても悪くても行きますよね?・・・よね?
そういう、ちょっとした強制力のあるものが与えられているというのは、かえって恵みだなと、感じるときがあります。


私たち夫婦は、礼拝のスタイルの違う教会でそれぞれ育ちました。今は同じ教会にいって、並んで座って一緒に神様を礼拝します。家でも一緒に祈ります。どんなに喧嘩をしても、一緒に教会に行くし、ご飯や出かける前には一緒に祈ります。そうしてなんだかんだ二人が主の前で向き合い、キャラも考え方も違う二人がなんとか一緒に生活をしていくのです。


もし、私の夫が、ノンクリスチャンだったら・・・私は辛いなと思います。
一緒に教会に行けない・・・行ってもちょっと気を遣う。一緒にお祈りできない。言っている意味が通じない。価値観の土台が違ってくる。どうどうと聖書も読みにくい。死んだ後の行く先が違う・・・
とても切なくて、孤独を感じてしまいそうな気がします。
家族が主を信じてくれるようにと、話したり祈ったりするのは、相手が家族であるほど大変です。
家族であるほど、強く言えなかったりもしますよね。


これだけ忍耐しなければならないことが待っているのに、簡単に「未信者と結婚してクリスチャンにしちゃえばいいじゃない」とすすめる人もいます。
でも、本当はこれは、簡単に言えることではないと思うのです。
本当に主に示され、主に勇気を頂いて、祈りつくして向き合わなければできないことだと思います。


「ノンクリスチャンと結婚して、生涯その人の救いのために祈り続けること」と
「日本人口の1%の中から、パートナーを祈りもとめること」と
どちらが本当にハードでしょうか??


本当に、祈らされます。


でも、これは、一概にどちらが絶対イイなどと言えることではありません。
ただ、その人と神様との関係の中で、それぞれに与えられる道であると思います。
それを、真剣に祈って考えることは、大事なことだと思います。

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